アメリカ留学記
今現在アメリカ在住している方や、長期間留学していた方、働いていた、もしくは、働いている方などから見れば、当然当たり前の事ばかりですが、当時、高校を卒業したて19歳の時のことですので、なにとぞご理解を!!
留学先・・・ アメリカ合衆国 インディアナ州
学校名・・・Vincennes University(短大)
期間・・・1990〜1993
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留学動機高校2年くらいの時であったであろうか、当時河合塾に通っていて、日本の大学進学を考えていたが、無性につまらなくなり、クラスの皆が受験ムード一杯の中、自分だけか分らないが、受験というものに違和感を感じていた。
直接のきっかけは、本屋に英語の参考書を買いに行った時に留学の本を立ち読みしたのがきっかけだったと思う。それから、留学にむけて突っ走った!!
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大学の選定結構時間がかかったのがこの作業かな。
まず、ESL(外国人の為の大学付属の英語学校)があることを条件に捜索開始。アメリカの大学は短大からの編入が可能であるということを知り、4大と迷ったが、無理をせず、短大からスタートしようと心を決める。
そして、留学本に書いてあった願書の取り寄せ文章をそのまま流用し、10校位を取り寄せ、辞書片手に必死に書き込み、送付。そして、一番早く、一番親切に対応してくれたのがVincennes Univだった。
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出発準備各大学から留学ビザ(I-20)が送られてきて、コロラドなどの短大と迷ったがなぜかインディアナに興味をそそられ、日本人も少なそうだしと心を決めた。しかし、その後、いろんな資料が送られてきて、授業の選定?、寮?アパート申込?とりあえず、めちゃめちゃ書き込んで、送ったがその後のトラブルに発展するのであった。
とりあえず、その他何を持って行けばいいのか何も解らず、衣類と辞書、トラベラーズチェック(個人小切手みたいなもの)だけは揃えた。
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出発当日いよいよ初の海外!しかも一人である。お金を払えば、留学斡旋業者に全てを一任することも可能であったが、一人でやってやる!と思ったことにちょっと後悔する。
親、弟、5〜6名の友人に見送られ、とうとう出発の時がやってきた。成田で皆と食事をとり、緊張し始める。飛行機の搭乗のアナウンスが・・・そして、皆と別れを告げ、頑張れと友人達に励まされ握手を交わして、一人飛行機に搭乗した。
(ちなみに、航空会社の座席の手配ミスによりファーストクラスへ!!!)そして、いよいよ離陸!これからどんな事がまっているんだろうとか、英語は大丈夫か?いろいろ頭を過ぎりつつ、さらば日本という何ともいえない考え深い心境であった。
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成田〜シカゴ〜エバンスビル飛行機は無事シカゴに到着し、初のアメリカに入国である。ここまでは日本の航空会社でスチュワーデスも日本人だったが、ここから、米国の国内線になる為、とうとうエバンスビル行きの飛行機には日本人が一人に!(ちなみに、シカゴでコーラを買うことに挑戦したが、コーヒーがでてきた。)まわりが皆アメリカ人の中、とうとうインディアナ州エバンスビルに到着!
空港ロビーに立った瞬間、これからどうするんだっけ!!??
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エバンスビル〜ビンセンス大学とりあえず、夕方だったので、どこか宿に泊まらなくてはと思ったのだが、知らない町にいることに不安を感じ、タクシーに乗り、とにかく「ビンセンス」「ホテル」を連発していた。そして、ビンセンスの近くのぼろいモーテルに到着!タクシーのうんちゃんに大学のインターナショナルスチューデントアドバイザーからの手紙を見せたところ、モーテルの受付の人になにやら話ししてくれ、いくら払ったか知らないが、宿泊にこぎつけた。
そして、明日も大学へ行くのにタクシーを電話で呼ばなければならない為、紙に言う事を全て書き込み、また、起こりうる返答の言葉も数パターン考え、反復練習!そして、爆睡!!
翌朝、練習の成果があり、すんなりタクシーを呼ぶ事に成功!!そして、いざ、大学へ!!うんちゃんと何を話ししたか忘れたが、一生懸命会話をしているうちに、いよいよ到着!スーツケースを持って、広いキャンパスに下ろされ、どこへ行けばいいのか解らずうろうろうろたえる。そして、インターナショナルスチューデントオフィスに行ったところ、アドバイザーのアフガニスタン人であるDr.Raziに出会う。彼がやさしい英語で話し掛けてきてくれ、入学手続きの窓口まで来て、いろいろやってくれた。学生証の発行も一緒にやってくれて、やっと安堵感を感じた瞬間であった。
しかし、落とし穴があった。
いよいよ、入寮の話をしたところ、俺がめちゃめちゃ書き込んだ申請書に前金が支払われてないということで、寮に自分の部屋がないことを説明され、動揺!そして、キャンパスポリスの人が偶然遊びに来ていて、部屋探しに協力してくれた。パトカーに乗り込み、アパートを何件か廻っているうちに、とあるおばあさんが自宅の空いた部屋を学生に月$100で貸し出しているというところに行き、決定。そこには、Suyash.platap.Senというアメリカに来て、3日目というネパール人や、Shinichiroという八王子出身の日本人(彼も4日目)、Joeというアメリカ人(彼も新入生)、Kentアメリカ人(2年生)、他アメリカ人(2年生)、そして、大家のMrs.Michelおばあさんがいた。
そして、そこでの共同生活が始まった。
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授業開始まず、その部屋には、ベッドがあった。キッチンやトイレは共同で、シャワーも、もちろん共同!そこで、まず、スーパーに歩いて行って、ラジオを購入!そして、チャリンコ、生活品を購入!これで、ちょっとだけ行動範囲が広くなった。
そして、迎えた授業初日、まず、Institutional TOEFLなるものをうけさせられた。おはずかしながらTOEFLの勉強は一度もしたことがなく、渡米前に一度受けたが、結果が届く前に出発してしまった為まったく知識なしであった。しかし、英語は高校時代学年トップクラスを維持してきたので、自信はあったのだが、もろくも、そしてもはや崩れ去った・・・
結局、一部レベル2そしてレベル3からのスタートとなった。当時のクラスメートは覚えている限りだと、日本人はハウスメートの真一郎、ユキ、ユミ、たく、純一さん、りゅうた、そして、フランス人のファブリス、ネパール人のハウスメートであるセン、香港からのウォーレス、イラン人マームー、ソマリヤからのモハメッド、アフガニスタン人のアジ-ザ、アフリカンが10人位、スイスからモニカ、その他、イラク、ドイツといろんな国の留学生がいて、驚いた。
この時気づいたのだが、皆一人で、アメリカに出てきて、皆不安で同じ気持ちなんだなと実感した。そんな、同じ境遇にいる者同士だと、友達になるのも早かった!先生は、インド人のMrs.サマーズと、アメリカンのMrs.ハズマン!
二人ともとても良い先生だった。
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