インパール作戦
みなさんにはあまり馴染みのない言葉だと思いますが、俺っちもここ数年で何十冊もの書籍を読み尽くしやっと理解し始めたものです。
そもそも事の発端は、私の祖父(故じいいちゃん)が幼い頃戦争の話をたまにしていたなということをふと思い出し、たしか、ビルマとか言っいたなとか思って、新宿の紀伊国屋で第二次世界大戦のビルマ戦線の戦記本を買ったのがきっかけです。
そこから、インパール作戦という人間の生きていく世界ではない地獄の作戦、インパール作戦を知るに至りました。俺っちのじいちゃんは親父に効いたのですが、インパール作戦参加中マラリアで倒れ、野戦病院にいたそうですが、それ以上の詳しい情報はありません。
みなさんのおじいちゃんやおじさんの中にも戦争体験者は多いと思いますが、ここでは、あくまでも彼らがどんな苦しい思いをしてきたのか、そして、どんなことを体験してきたのか、どんなことを思っていたのか等を探求していきたいと思います。
昨今、アメリカが戦争を行っていましたが、俺っちは特に戦争を肯定も否定もしていないので、特に個人的な意見、感想は書きません。それは、HP上で公開していく以上何人をも中傷したくないからです。
純粋に自分のじいちゃんがどんな事をしてきたのだろうという探究心のみからの意見や感想です。ご了承ください。
準備中
故祖父所属部隊
陸軍 独立自動車第一〇二大隊 第五中隊
インパール作戦後 第一〇一大隊
階級
復員時 陸軍伍長
祖父の軍での活動略年記録
昭和12年10月25日 臨時召集の為目黒輜重隊
10月25日 世田谷陸軍自動車学校入校
10月25日 園田部隊第五中隊に入隊
10月25日 陸軍二等兵を命ず
昭和13年4月1日
陸軍一等兵に命ず昭和13年4月25日
召集解除昭和16年12月1日
臨時召集の為 独立自動車一〇二大隊第五中隊に入隊
昭和17年3月8日
南方作戦参加の為広島港出発3月12日
台湾高雄に入港3月15日
同港出発3月20日
仏領印度支那サインコン入港3月22日
同港出発3月31日
昭南島に入港4月12日
同港出発4月20日
緬甸ラングーン上陸4月21日
緬甸作戦に参加7月1日
陸軍上等兵に命ず8月15日
鉄道建設に参加昭和18年9月1日
鉄道建設終了の為出発9月10日
ビルマに集結9月11日
インパール作戦に参加昭和19年5月20日 緬甸暹羅國毘通過?
昭和20年3月15日 独立自動車第一〇二大隊は
独立自動車第一〇一大隊第五中隊に編入
9月5日 チェンマイに集結
9月13日
同地出発11月20日
ナコンナヨーに集結12月15日
陸軍兵長に命ず昭和21年5月1日
陸軍伍長に命ず6月6日
同地出発6月8日
バンコックに集結6月9日
同港出発6月18日
日本上陸6月21日
復員断片的ではありますが、祖父に関しての軍資料はここまでです。
復員時、故祖母と、叔母(親父の姉)、親父で五反田の駅まで向かえに行ったそうですが、やせ細って、すれ違い、まったくわからなかったそうです。いかにインパール作戦が悲惨な戦いだったかということが伺えます。
昔聞いた話を思い返すと、これもかなり断片的ですが、英印軍に銃や戦車で狙われ、追い詰められ、5メートルはある垣根を飛び越え、必死に応戦、してかろうじて逃げたということは覚えています。
当時は、私も小学生という幼さであったので、軽く聞き流していましたが、今になっってこの状況がどんなものであったかというのは想像を絶します。
ビルマ戦線の戦記などを読むと、兵隊をアリにたとえれば、お菓子のかけらに集まっている100匹位のアリを足でまんべんなくすり潰したが、5匹位逃げてしまった。その逃げてしまったアリが無事復員した兵隊のようなものであると私は思います。
その位悲惨な戦いです。
ビルマ戦線 生死の境
著者:小田敦巳
勝手にリンクしてます。はまります。
これも勝手にリンクしてます。
これはすごいです。読破するのに何ヶ月かかるでしょうか。必見です。
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